2021年3月11日

その他

天邪鬼なので、あちこちで東日本大震災関連の投稿を見ると「書きたくない」「触れたくない」とへそを曲げたりするのですが、ここは素直に振り返りましょう。

10年前、ある協同組合の依頼を請け、宮城県の山間部にある『国立花山青少年自然の家』で、来日した技能実習生の「講習」を行うべく、およそ1か月もの間、そこに滞在していました。

細かいことは覚えていませんが、3月に入ってからスタートして、1週間過ぎたかどうかだったと思います。
講習は順調に進んだのですが、ご存知の通り、14時46分に激震が走ったわけです。
宮城県の方なら記憶にあると思うのですが、その数年前、宮城県北部を中心とした大きな地震があり、一帯は地滑りや土砂崩れで大きな被害が出ました。
人里離れた山の中に居たので「またそれか!」と思ったのですが、状況は不明。

東京や海外に住んでいる方々から、どんどん安否を気遣うメールが来るわけですよ。
ところが、電気も停まっているから、状況がさっぱり分からない。
海沿いでは人が倒れている、という情報もくれるのですが、津波が来たことは知らないから、送電線が倒れて感電して気を失っているのか?と想像したり「河川の傍にいるなら、できるだけ離れろ」とメールが来ると「ダムが決壊したのか?」と…
そのうち、家族から「大津波が来た。会社からクルマを置いて逃げた」というメールが来たので「クルマよりも命でしょう」と返信したり。

すべてを理解したのは、だいぶ後になってからですが…

あれから10年が経ちました。
多分、私は被災者の中でも「ほとんど失うものが無かった人間の一人」でした。
ほんのちょっとかすり傷を負った程度です。
だからといって楽だったわけではありません。

起ち上げたばかりのビジネスは、あっという間に売り上げがゼロとなり、計画していた事業のほとんどが頓挫してしまいました。
特に取引先の方々が、事業がストップするほどのダメージを受けたので、自分としても何も糧が得られない。
できることをこなしながら、日々を過ごすしかありませんでした。

いま、このコロナ禍も当時と似ている気がします。
海から離れた地域、たとえば仙台市中心部は、パッと見たところ何も変わらない。
スーツを着たビジネスマンたちが相変わらず忙しく歩き回り、地下鉄もJRも普段通りに走っている。
でも、眼に見えないもの…たとえば、経済はひどく落ち込み、売上が激減した会社、仕事を失っている人も決して少なくないはずです。

前なら「がんばりましょう」と簡単に言えたのですが、みんな、ずっと頑張っています。
頑張っていないように見えても、お気楽そうに見えても、本当に頑張っています。
うまい言葉は見つかりませんが、1mmでも前進して、日々を積み重ねるしかありません。
お互い、励まし合い、大丈夫か?と声を掛け合い、時には手を差し伸べ、疲れたら手を引いてもらう…

東北の人々はシャイなので「助けてもらう」ということがカッコ悪い、みっともない、と考えることも多いのですが、生きること自体、カッコいいことばかりじゃないですからね。
カッコ悪くても、みっともなくても、生きてナンボです。
命を落とすより、恥ずかしい人生でも生きていることの方が100万倍マシ、生きること自体が偉業だと思っています。

先日も大きな地震がありました。
ここ数年、大雨、台風などで被災した方々もいます。
いろいろなことに、気をつけながら、生きていきましょう。

カッコ悪くても、みっともなくてもいいじゃないですか。
言い出しっぺの私も言いますよ。

わが社にお仕事下さい。
何でも、いくらでも、お待ちしております。
よろしくお願いいたします。
うんと儲かったら、社会に還元します。

コメント